2016年12月31日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(6)

 中田茉那美は呆れている。
 律はあの頃から成長していないのだ。背丈ばかり伸びて頭の回転は変わっていないと評価した。今までどんな家庭教師が横についていたのだろう。よほどの能無しなのか。知能指数が上がれば絵の才能だってもっと引き伸ばせるはずだ。それなのに3年前と変わらず子どものままだった。
 少しばかりショックを受けた。もう少し賢い娘だと思っていたから。
 それもこれも、この鳥かごのような環境が悪いのかと思い直した。

 茉那美と胡桃はいざこざのあった廊下から一旦、ゲストルームに戻った。このゲストルームの隣が律の部屋になる。
 真田幸晴が帰宅したとメイドから聞いて、律が廊下に出た瞬間に親子喧嘩が始まった。メイドが報告しに来るのとほぼ同じ速度で、律の蛮行を聞きつけた幸晴が飛んできたようだ。
 喧嘩が始まってしまえば茉那美のすることはなくなる。せいぜい成り行きを見守るくらいだ。

「帰れ帰れ帰れ!」
 真田幸晴は指を差しながら茉那美に詰め寄ってくる。この男のことは始めから気に食わなかった。律の教育をことごとく間違えてきた男だ。唯一、茉那美に声をかけてきたことは評価してもいい。だがすぐに暇を出してきたのは最大の汚点だ。娘のことを思うなら茉那美は自分に任せてもらえるのが一番、理に適っていると考えている。
「帰りましょう、胡桃」
「ふぇ… 先生!?」
「お父様の許可がないのなら仕方ありません」
「…ふぁい…」

 茉那美と胡桃は帰り支度を始めた。と言ってもコートを羽織るくらいだった。来て間もないのだから荷解きも何もしていなかった。そんなことよりこれからどするかだ。一週間程度の滞在を考えていたがスケジュールが空いてしまった。完全に予定が狂う。
 幸晴が大股で出て行ったあとに、茉那美たちも部屋を出る。

「?」
 律が部屋にこもってから一時間くらいだろうか。彼女の部屋の前でメイドたちがお菓子パーティーを開いていた。床に座り込んでティーセットとスナック菓子、洋菓子類を広げている。
「わたしの〜たいせつな〜ものあっげっる〜♪」
 一番小さな子どものメイドが知らない歌を唄っていた。音程のずれた歌声だ。何をやっているのかと思うが、言わんとすることは解った。天の岩戸のように律を誘い出そうと言うのだろう。

「お嬢っ! 盛り上がってきたよー!」
「かすてらもあるんだよ〜 一緒に食べようよ〜♪」
「…」
 3人のメイドは確か律に付けらている専属メイドだったか。大人しい新顔のメイド以外は3年前にも見かけて覚えている。茉那美はその新顔のメイドに注目した。ゲストルームに紅茶を運んできたのが彼女だ。メールや電話で律とやり取りをしたときに、会話によく出てきた少女だった。律の話では必要以上の世話はしないらしい。教育方針としても茉那美に近いものがあった。

「お嬢っっ 全部食べちゃうよー」
「甘〜い♪ のーん♪」
「…」
 テンションの高い二人のメイドに比べて新顔は付き合わされているだけといった感じだ。茉那美はじっと彼女を観察してみる。どうも宴会に乗り気でないのは態度からすぐに解った。
 近づいてみて声をかけみる。
「ねぇ、あなた。下まで案内してくれない?」
「ハイ…? あハイ。わかりました…」
 人見知りしそうな小さな声だ。茉那美はトランクを彼女に預ける。
「胡桃も持ってもらいな」
「はぁい」
 とたとたと後ろから胡桃がついてきていた。新顔のメイドは胡桃のトランクも受け取る。
「スカイエルムの玄関まででいい」
「わかりました」
「君、名前は?」
「あの… アリアです」
「アリアさんね。よろしく頼む」
 茉那美はさっさと真田家を後にすることにした。

 律が忽然と部屋の中から消失したと解ったのはそれから一時間後であった。

2016年12月17日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(5)

 パァンッ!!

 火花が散った。目玉が飛び出るかと思うほどの衝撃がくる。
 律はよろけた。
 何が起きたのか解らなかった。

 長身の男はギラリと律を睨む。
「オイオイオイ… フザケてんじゃないぞ、お前はよぉ」
「…」
 律は堪えきれずに尻餅をついていた。

「降りてこねぇと思ったら何やってんだよ! どれだけ手塩にかけて育てたと思ってんだ? どんだけそれがわからねぇ娘に育っちまったんだ? ア!? 俺は情けねぇぞ…」
 これが自分の父親なのか? 律は幸晴の顔を見上げる。怒りと哀しみが混じった形相をしていた。ダブルのスーツ、白髪交じりの髪、刻まれた皺。全体的に細身だが筋肉がしっかりとつけられた鋼の身体だ。その腕力で娘を本気で叩くなんてあり得ないと思う。
 パパの力は、ただの軽い平手打ちでも腰の入ったストレートパンチに匹敵する。
 律はよろけつつ立ち上がった。意外すぎる先制攻撃に面食らったけど、怒られるのは想定内だ。だからパパに対抗するにはここで弱気を見せてはいけない。律は睨み返す。

「茉那美先生は恩人なの! あたしが教わりたいと思ったから呼んだの! 悪い!?」

「悪いに決まってんだろが!! 反抗期かお前!? 大人舐めんなよ!」
 ポケットに手を突っ込み、足で側の壁を蹴り上げる。真田幸晴は血の気が多いことで有名だ。特に娘のこととなると感情のコントロールが効かなくなる。
「俺の信じる教育方針でお前は義務教育やってりゃいいんだ! 俺の嫌いな教育方針を掲げる奴は必要ない! なぜなら偏った教育を叩きこもうとするからだ!」
 幸晴は、成り行きを見守っているだけの茉那美先生を睨みつける。対する茉那美は能面で腕を組んだまま微動だにしない。
 そのさらに後ろでは胡桃がおろおろとしていた。

「あ? 何見てんだ。帰れ帰れ! 金の亡者めっ 金をせびりに来たのか!? 電車賃だってやるもんかよ!」
「パパ! やめてよっ」
 律は当たり散らすパパを止めようとした。しかし逆に胸ぐらを掴まれる。
「ガキは黙って親の言うことを聞いてりゃいいんだ」
「う…」
 律の足が宙に浮いていた。
「お前の幸せは俺が決める。一生ニートとして生きればいい! 絵のほうも順調だ。俺が養ってやってんだ。一生困らねぇだろ! 不自由はないはずだ!!」
「う… そばっ… かり」
「勝手な真似しやがって! 調子乗ってんのか!?」

 パァンッ!!!!
 フルスイングの平手打ちが飛んできた。律は吹っ飛ばされて3メートルほどよろけ、ひっくり返った。
「うぐ…」
 完全にシナリオが狂った。普通に怒られる程度で終わると思っていた。今までと同じように口頭注意で済まされると思っていた。来てしまったから仕方ないと茉那美先生の着任は事後承諾で認められるはずだったのに。

「うわあああああああ」
 律は叫びながら心配するメイドたちを掻き分け自分の部屋へ走った。

 バタン!
 カチンッ

 内側からロックのかかる音がした。

2016年12月10日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(4)

「お久しぶり、りっちゃん」
「先生っ」

 外の景色が一望できるはずのゲストルームは、今はシャッターが降りていて、いつもの開放感がない。天候がいつまでも悪いので仕方のないことだった。
「先生、何年ぶりかな」
 律は自分が呼び寄せたお客に相対している。結局、下には降りられなかったが中田茉那美と連れの杉田胡桃に会うことができたのだ。

「ちょうど3年だ」
 中田茉那美は黒のスーツで決めていてショートカットの髪をスタイリッシュにセットした恰好良い女性だ。切れ長の鋭い目に真っ赤なルージュ。細身でありながら胸は大きく主張していた。
 かつて律の家庭教師を務めていた人である。
 足を組んで座って肘掛けに右肘をつく姿が様になっていた。怖いくらい真剣な顔で、愛嬌はないが妖艶な美しさが仕草から滲み出ている。

 隣では杉田胡桃が紅茶を上品に啜っていた。ソファに浅く腰掛けてへらぁと緩い頬で笑顔を絶やさない。
 ゆったりカールした茶のポニーテールに黄色の軽そうなリボン。髪と同様に色素の薄い眼の色、低い鼻、真っ白な肌。律より歳上であったが童顔のせいで下級生と言われても納得してしまいそうだ。
 明るい色のワンピース。下には暖かそうなレッドピンクのセーターを着込んでいた。足元はカラフルなハイソックスに真っ赤なローファーだ。
 外国人の血が何分の一か入っていると言っていたのを律は思い出す。
 彼女とはビデオチャットやメールでは何度もやり取りしてきた仲だ。実際に生身で会うのはこれが初めてだ。

「電話でいろいろ喋ってたけど、それで結局 何が言いたかったんだ?」
「電話で言ったままだよ。ギブアンドテイクってこと」
「相変わらず回りくどいな、お前は」

 茉那美は呆れている。それは充分に承知のうえだ。
 律はパパが指定した家庭教師陣の中で茉那美が一番好きだ。自分のことを対等に扱ってくれるからというのが理由だが、茉那美の指導方針とパパの教育方針とでは大きく食い違う。そのせいでわずか一ヶ月足らずで真田家を去ることになってしまった経緯があった。それが3年前だ。

「どうも様子がおかしい気がしてる。真田さんが許してくれたとは思えないからな」
「だから大丈夫だって。パパが何を言ってもあたしは茉那美先生が正しいと思う」

「りっちゃんは3年で背がよく伸びた。栄養失調かと思うくらいチビだったのに」
「え?」
「頭のほうも一緒に成長したのかね」
「…勉強は嫌い」

 律は入り口付近のメイドたちを気にした。3人のメイドは何かあればすぐに飛んでいくと言わんばかりにすまし顔で並んでいた。
 茉那美先生や胡桃との会話にあまり立ち入って欲しくないと思う。しかし下がれと命じても専属メイドは基本的にパパの指示に従うのだ。

 律はソファにゴロンと寝転がった。
「なんかね、監視されてる気分なの。ずっと。先生が居なくなってからも何も変わんないよ」
「図体ばかりでかくなったわけか」
「成長期なんだから、当たり前だよ。予定通りに大きくなったんだから、驚くような変化なんてなにもないの」
「変わった内に入らんと言いたいのか」
「もうずぅっっと、あの時のまま」
「そうか」
 茉那美先生は目を閉じて思考を巡らせていた。掴みどころのない律の会話にどう対応するべきかを考えているのだ。

「胡桃ちゃん、絵は描いてる?」
「うん、体調がいいときはね。りっちゃんは?」
「ずっと暇だから描いてるよ。この間、見せたのがあるじゃん」
「うん」
「でも… ただ描いてるってだけで、満足できないんだよなー」
「それはそうなんじゃない? 私も描く度に思うよ」

 たぶん、胡桃の思っているような不満とは違うのだろう。律には解っていた。胡桃や他の作家の場合は向上心があるから改善点が見えてしまうのだ。作品を描いても満たされないのはもっといいものが描けるという想いからに違いない。
 律の場合は根本的に足りないのだ。
 必要なパズルピースが足りない状態でパズルを作っているみたいだった。
 絵を描くのは好きだけど、もっと上手になりたいわけじゃない。
 途中で飽きてしまった。だから律の作品はほとんどが未完成だ。もうキャンバスに描くところがなくなってしまったから筆を止めているだけで、これで完成だと区切りをつけたことは一度もなかった。勝手に他人が完成品だと思っているだけだ。

「一緒にがんばればもっとたくさん上手くなれるよ」
 胡桃は無邪気に笑って紅茶を飲み干していた。

 律は胡桃と一緒に勉強ができるのであればそれで充分だ。一週間だけという予定だけど、それは夢の様な時間になるだろう。絵に関しては意見が交わらなくても構わない。始めから向上心などないのだし、才能で言えば胡桃のほうが天才肌なんだから最初から勝負にならないと解っている。

「そうだ、肝心なこと聞くの忘れていた。お前、ちゃんと親の許可は取れたのか?」
 茉那美先生が切り込んできた。
 先生と胡桃を招聘しようと決めてから、ずっとパパには内密にしてきたのだ。だから先生には適当にごまかしていた。
「…大丈夫だよ。きっと」
 律はパパに当て付けるように二人を呼んだ。来てくれればもうこちらのものだ。さすがに追い返したりはしないだろう。ミッシェルのように仕方がないと言って許してくれるはずだ。

「…そうか、おかしいとは思ったが、やっぱり話してないのか」
「??」
 胡桃は驚いたように先生と律の顔を交互に見回した。

「ふふんっ パパの思い通りになんかならないんだから」
 律はすべてがうまくいくと保証するかのように、にーっと笑って見せるのだった。

2016年12月3日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(3)

 スカイエルムタワーは地上60階の高層ビルだ。
 最上の60階と59階には真田家の居住スペースがある。そこにはメイドや家庭教師を含めて20名近くが暮らしていた。律は一人っ子だし、パパはママと別居しているから、真田家の人間は二人だけだ。
 同じビルの20階から40階まではパパが働いている真田総研が入っていた。60名程度の正社員を抱える研究機関である。
 スカイエルムには他にもホテルやスポーツジム、ショッピングセンターが入っている。地上部には郵便局や役所などの施設もある。スカイエルムはビル全体が町として機能していた。 
 律は最上階の一室でずっと暮らしてきた。6歳くらいからだろうか。パパとママが別居を始めてから律はパパと共にこのスカイエルムに移住してきたのだった。

 外の景色は一面が白銀に覆われている。
 律はベランダの窓から空を眺めていた。鉛色で見ていても何も楽しくない。それでも律は落ちてくる雪の結晶を見つめていた。

 最も遠くに外出できた場所と言えば、パパと一緒に降りた地下一階までだ。それが6年間での最長記録だった。警備員、監視カメラ、監視ロボットで厳重に律の行動は制限されている。
 外出にはいくつものチェックポイントがあり、IDカード、指紋と声紋で出入りは管理されている。律のカードはパパが持っているし、律の指紋や声紋では受付のゲートが開かないように設定されていた。
 つまり勝手に外出することは不可能。
 パパの許可がない限り律は囚われの身なのだ。

 律は勉強机に向かってノートを開いた。旧式のノートパソコンで、ネットの世界にも制限がかけられている。メールか特定のウェブサイトしかアクセスできないように設定されているのだ。
 メールソフトを起動してチェックする。
 来ていたのは一通のメールだけだ。

『ALRIGHT』

 その一文だけが書かれていた。律はにんまりと口を曲げる。
「ねぇ 有亜っ 茉那美先生が来てくれるって!」
「…はぁ… それは良かったねぇ、りっちゃん」

「お嬢様? 誰それ?」
 コルルが後ろから抱きついてくる。

「あたしの先生。コルルの知らない人だよ」
「ふーん。来るってここに?」
「そ」
「え? …いいのそれ?」

 律はコルルの言葉を無視して机から離れる。コルルを引き摺ったまま部屋の外へ出ようとした。入り口には織愛が立ちはだかる。
「どこいくのかな?」
「玄関ホール」
「お嬢、そんなとこに何の用事?」
 織愛は少し困った風な表情をする。律の勝手な行動は慎むようにパパから言いつけられているのだ。
「新しい家庭教師の先生が来てくれるから、お迎えに行くの」
「えぇ??」

「おっ嬢様? マジガチな話?」
 コルルが足を絡めてのしかかってきた。行かせないという意思表示だろう。それを予測していた律はゆっくりお辞儀する。
 コルルは律の背中に乗って、体重をかけるが軽すぎて律には無意味だ。お辞儀されて、背中が傾いていったのでコルルは前方に刷り落とされる。
「おっとっと… んふんぎゃ…」
 ぼすっと、コルルは床に寝転がる。

 律はコルルを跨いで部屋を出ようとするが、織愛は律の肩に両手を置いた。
「お嬢ってば、待ちなさいよ。お昼からお偉方との会食にパパと同席しなきゃでしょ? 今から美容室行かないと間に合わないよ?」
「キャンセルでいいんじゃない? パパにも断っといて」
「ちょ!」

 律は織愛のガードも笑顔ですり抜けてドアを開ける。3人のメイドはついていかないわけにもいかないので後に続いた。

「お嬢様!」
「お嬢ったら」
「りっちゃーん」

 廊下を走り、ホールに出て、エレベーターを呼び出す。
「だって、知らない大人と一緒にご飯って意味がわかんなくない?」
「パパはお嬢をご披露したいのよ」
「あたしって見世物なの?」
 ドアが開いてエレベーターに4人が乗り込む。
 59階と60階を行き来するためだけの箱だ。すぐに階下に到着した。律はずんずんと歩いて58階へ行くための階段に向かった。つまりは真田家の玄関だ。
 すっとダイニングルームからメイド服の女性が顔を出す。

「どこに?」
「おはよ、ミッシェルさん」
「お嬢様、どこにと聞いているのです」
 メイド服の女性が立ちはだかり、律は足を止めざるを得なかった。
「…えっと、玄関」
 律は目を逸らした。目の前のミッシェル・ヴィナスはメイド長でありコルルの母親でもある。さらに律の母親代わりでもあって、パパから律の生活管理を委任されている人物であった。
 家を空けることの多いパパに代わって家庭内を取り仕切っている大人物である。

「すぐに嘘を吐く。隠し事ですね? 真田様にご報告にあがらなくては」
「あっ えと… あたしのお客さんなの。友だちっていうか、先生…」
「アポイントは確認しておりません。真田様の許可は?」
「後で取るつもり… じゃだめ…?」

 ミッシェルは大きくため息を吐いた。
「外はお嬢様には危険です。よっぽどの事情がない限りお嬢様はここに居なさいな。幾原さん、お嬢様のお客様とやらをゲストルームに呼んできてください」
「ありがとミッシェルさん」
 律はこれでいいだろうと睨んでくるミッシェルににぃっと笑顔を返した。

2016年11月26日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(2)

***

 バスルームを出ても悪夢は続く。
 律を取り巻く4人の専属メイドたちは歯磨きの手伝いから下着の替えまで用意してくれるのだ。ドライヤーで髪を乾かされながら、新しいTシャツを被せられる。犬のキャラが描かれた子どもっぽいデザインだ。クリーム色のカーディガンにブラウンのショートパンツを身に着けていった。
 律は着せ替え人形のように突っ立っているだけで良かった。いつの時代のお姫様の話だろうと思う。
 不自由だ。
 律は外の世界に飛び出してみたいと考えていた。
 もうずっとパパの言うことを聞いてきたのだ。病的なまでに従順だった。3年前くらいまではおかしいとも思わなかった律だが、どうも異常なのだと気づいて、近頃は専属メイドたちの存在もうっとうしくなっていた。
 律はこの不自由な現状を抜けだして、次第に遠くへ行ってみたいと願うようになる。

「ねぇ有亜。ブラシ貸して」
「ハイどうぞぉ」
 奥野有亜(おくの ありあ)は唯一の理解者と言っていい。専属メイドの中では新参者だが、何もやらせてくれない他のメイドと違って、最低限のことは自分でやらせてもらえるのだ。18歳という年齢は姉代わりにもなって、律は有亜のことをよく慕っていた。
「髪留めはどれにするぅ?」
「赤いのがいい」
 律は差し出されたプラスチックのケースからきらきらと朱色に光る髪留めを手に取る。

 律の髪は腰まである黒のストレートで、柔らかく、さらさらとした髪質だ。髪留めで長い前髪を分けて、もみあげは伸ばしている。すべて有亜に憧れてそっくりマネた結果だ。シャンプーやリンスも同じ銘柄だし、香水も同じものを使っている。少しでも彼女に近づけるよう、メイクの手ほどきも受けていて、身近に思っているのだった。
 有亜だけは他のメイドたちと違って特別だ。掛け替えのない存在と言っていい。

 ひたっ… と長身の女性が近寄ってくる。
「お嬢っ、パパ上さまから銀色の髪留めにしなさいとのお達しが来てますよ」
「え?」
 律は鏡台越しに写る幾原織愛(いくはら おりえ)の顔を見上げた。
 ふわりとウェーブした髪に、四角い赤フチのメガネ。歳は有亜と同じでとてもグラマーな身体つき。柔らかい口調で語りかけてくれるが律の味方ではない。

「今日は外国人のゲストがいらっしゃるとかで、ドレスアップして同席しなさいって」
「髪留めの色をわざわざ指定するわけ?」
「おしとやかに見えるようにしておけってね。そう言われてるのですよー」
「赤じゃダメ?」
「おてんばのイメージだわね。いいからこっちにしておきなさいって」
 織愛の手から銀のラメが散りばめられた髪留めが渡される。

「…んえー」
 不満を言っても始まらないことは解っている。しかし反抗しないと何も現状は変わらない。パパには無駄と解っていても逆らわなければいけないのだ。
「無理」
「パパ上さま泣いちゃいますよ?」
「…う〜ん… …わかった」
 結局は言うことを聞くことになるのだ。早めに撤退するに限る。
 逆らい続けても今まで律の思い通りになることは一度もなかった。パパが提示する選択肢の中からであれば一応の自由はあるけれど、それは律の好みからかけ離れているし。だから少しずつ反抗の狼煙を上げていって、いつかは親離れしたい。
 いずれチャンスは訪れるだろうと思う。

2016年11月19日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(1)

 夢を見ていた。

 真田 律(さなだ りつ)は深い湖の底に沈んでいく。
 淡水湖には奇妙な生物ばかりが棲んでいた。出来損ないの動物クッキーが漂っているように見える。微弱な光源しかない無音の世界だ。

 律は思う。
 齢12年と半年。栄養もたっぷりあって、こんなにカワイイ女の子なのに。充分に美味しそうなつもりだけど、どの魚も食べにやってこない。律は魚たちに無視されていると悟った。
 無気力につぶやく。
「少しは興味を示せっての…」

 底についたと思ったけれど、どんどん身体は沈んでいく。
 延々とゆっくり沈み込むのだ。
 少し息がしづらい程度で、苦しいとは思わない。だって始めから夢だと解っているから。
 そもそも喋れるのだっておかしいじゃないか。

「…いやだな」
 律の予知夢は当たる。
 欲しいものはだいたい手に入るのだ。自分の部屋にある色鉛筆の200色セットや、大きなクマのぬいぐるみも、かつて夢の中に出てきたものだ。ねだったことはないがパパがいつも勝手に買ってきてくれる。
 夢に見たものは凄まじい確率で自分のものになった。どうやってパパが律の頭の中を覗いているのか不思議で仕方ない。部屋の中は夢で見たものと同じもので溢れ返っていた。

 もういいよと思うが、見たくなくても夢は勝手に現れる。
 この深い湖もまた予知夢の一つだろう。浮上できないという点では律の現状を描いた心象風景のようだ。それとも実際にどこかの湖に落ちて実際に死んでしまうのだろうか?
 バカバカしい。
 あり得ないことだと思う。

「おっ嬢様ぁ?」

 …だって部屋から出られないんだもの。
 実の娘を部屋に閉じ込めて、ずっと外の世界に出さないなんて正気の沙汰じゃない。律は段々と息苦しさを覚えてきた。この部屋は目に見えない淡水で満たされているんだ。この予知夢はやっぱり当たっていると言える。

「そろそろ浮いてこないとガチで死ぬよ〜?」
「!?」
 冷たい…。いや熱いのか…? 身体が濡れてる?
 水面はすぐそこだった。

「ぷぁっ」
 律はもがいて、身を起こして湖から抜けだした。両手で顔を拭って息を吸い込む。よく見れば自室のバスルームじゃないか。律は荒い呼吸を繰り返しながら、腹立たしさを覚えた。

「起きた?」
「起きた? じゃないっ!」
 律は状況を把握する。

「お風呂に浸かってるのに起きないなんて相当だよね〜。ウチのお嬢様は」
「コルルッ いい加減、普通に起こしてよ!」
「だってぇー…。お嬢様ったら くすぐっても、鼻に指入れても ぜんぜん起きないんでぇー、仕方ないんすよ」

「…ぁそう」
 律は眠い目を擦って、改めて湯船に浸かる。既に怒る気力は失せていた。いつものことと言えばそれまでだし、確かにこうでもしないと起きられない自覚はあった。
 寝起きの悪さだけはいつまで経っても治らないのだ。
 湯船の中でパジャマを脱いでいく。薄紫の上下と、白い下着を脱いで、覗き込んでくるメイド服の少女にべちゃりと手渡した。

「ウチのお嬢様のおっぱいはいつになったら大きくなるかね〜」
 肩までのカールした金髪に、青い目を輝かせるのはコルルレット・ヴィナスという名の少女だ。真田家専属のメイドで、彼女は主に律の身の回りの世話を得意としている。
 1つ歳下のはずだが…、と律は毎朝そのことを思い出す。コルルは浴槽の縁に腰掛けてにぃっと笑いかけていた。可愛い八重歯が覗いているが主を主とも思わない非礼の数々にうんざりだ。

2016年11月12日土曜日

ラプンツェルの消失(4)

「どこにもいませんねぇ、りっちゃん」
 奥野有亜(おくの ありあ)は、単に地下と呼ぶ『最下層居住区』の出身者だ。出自としては貧困層になる。彼女は真田家にメイドとしてやってきて一年にも満たない。
 大人しい娘で織愛と同い年の18歳だ。
「間違いなく、お嬢はここに居た。パパにぶん殴られてから部屋に閉じこもって一回も出てきてないはずでしょ」
 織愛はもっと捜すように有亜に頼む。

 少し困ったように、ふとんをめくったりして有亜は部屋の中を右往左往した。
 鈍くさくて焦りが見えない。彼女は律と同じ黒髪のストレートのロングで同じ髪留めをしていた。仲が良いから律と同じなのだ。というか律のほうが有亜に憧れて馬鹿みたいに真似ているのだ。有亜が髪型を変えれば律もまた同じように変える。身長と胸の大きさが違うだけで劣化コピーのようだった。律は有亜を姉のように慕っていた。有亜に近づこうとしていたのだろう。一番身近な大人として有亜のファッションセンスや化粧のやり方を学び取っていたわけだ。
 しかし、おっとりした有亜と比べれば、律は雑な性格をしている。外見的に同じようでも、律がすまし顔をしたところで有亜との見分けはつく。

「どうして奥野さんは部屋に居たの?」
 織愛はもう一度、整理し直す。茉那美と胡桃の二人がやってきてゲストルームで律とお喋りしているとき、律の世話係である有亜はこの部屋に居た。
 世話係なら常に律の近くに居るべきだ。
「幾原さんたちが一緒だったから、その隙きに掃除しちゃおうと思ってぇ」
「監視役でもあるんだから目を離すなってパパ上様から言われてるでしょ?」
「そうなんだけどぉ、気になっちゃってぇ」
 有亜は溜まった埃を拭きたそうに常にウズウズするようなところがある。どうもネジが抜けたような感じだ。コルルといい、胡桃といい、律の周りには不思議な感じの娘が集うようだ。

「りっちゃん可哀想。あんなに泣いて。頬も真っ赤っ赤で」
 有亜は窓の外を見て呟いていた。
「奥野さんが部屋を捜してる間にお嬢が出ていったってことはない?」
「ほぇ?」
「例えば奥野さんがバスルームを覗いている間に、ベッドの下に隠れてたお嬢がこっそり部屋を出ていった。とかね」
「念のためって言われたので、部屋の鍵は閉めてましたし、廊下には監視カメラがあるので…」
「それもそうね…」
 抜けているようで抜かりはない。織愛は自分もしっかりしなければと気を引き締め直す。

 幸晴に報告しておこう。律の捜索は事態の進展しないままだ。幸晴のほうに誘拐犯から何かコンタクトがあるかも知れない。
 織愛は有亜を部屋に残して、再度 階下に降りる。