2016年12月10日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(4)

「お久しぶり、りっちゃん」
「先生っ」

 外の景色が一望できるはずのゲストルームは、今はシャッターが降りていて、いつもの開放感がない。天候がいつまでも悪いので仕方のないことだった。
「先生、何年ぶりかな」
 律は自分が呼び寄せたお客に相対している。結局、下には降りられなかったが中田茉那美と連れの杉田胡桃に会うことができたのだ。

「ちょうど3年だ」
 中田茉那美は黒のスーツで決めていてショートカットの髪をスタイリッシュにセットした恰好良い女性だ。切れ長の鋭い目に真っ赤なルージュ。細身でありながら胸は大きく主張していた。
 かつて律の家庭教師を務めていた人である。
 足を組んで座って肘掛けに右肘をつく姿が様になっていた。怖いくらい真剣な顔で、愛嬌はないが妖艶な美しさが仕草から滲み出ている。

 隣では杉田胡桃が紅茶を上品に啜っていた。ソファに浅く腰掛けてへらぁと緩い頬で笑顔を絶やさない。
 ゆったりカールした茶のポニーテールに黄色の軽そうなリボン。髪と同様に色素の薄い眼の色、低い鼻、真っ白な肌。律より歳上であったが童顔のせいで下級生と言われても納得してしまいそうだ。
 明るい色のワンピース。下には暖かそうなレッドピンクのセーターを着込んでいた。足元はカラフルなハイソックスに真っ赤なローファーだ。
 外国人の血が何分の一か入っていると言っていたのを律は思い出す。
 彼女とはビデオチャットやメールでは何度もやり取りしてきた仲だ。実際に生身で会うのはこれが初めてだ。

「電話でいろいろ喋ってたけど、それで結局 何が言いたかったんだ?」
「電話で言ったままだよ。ギブアンドテイクってこと」
「相変わらず回りくどいな、お前は」

 茉那美は呆れている。それは充分に承知のうえだ。
 律はパパが指定した家庭教師陣の中で茉那美が一番好きだ。自分のことを対等に扱ってくれるからというのが理由だが、茉那美の指導方針とパパの教育方針とでは大きく食い違う。そのせいでわずか一ヶ月足らずで真田家を去ることになってしまった経緯があった。それが3年前だ。

「どうも様子がおかしい気がしてる。真田さんが許してくれたとは思えないからな」
「だから大丈夫だって。パパが何を言ってもあたしは茉那美先生が正しいと思う」

「りっちゃんは3年で背がよく伸びた。栄養失調かと思うくらいチビだったのに」
「え?」
「頭のほうも一緒に成長したのかね」
「…勉強は嫌い」

 律は入り口付近のメイドたちを気にした。3人のメイドは何かあればすぐに飛んでいくと言わんばかりにすまし顔で並んでいた。
 茉那美先生や胡桃との会話にあまり立ち入って欲しくないと思う。しかし下がれと命じても専属メイドは基本的にパパの指示に従うのだ。

 律はソファにゴロンと寝転がった。
「なんかね、監視されてる気分なの。ずっと。先生が居なくなってからも何も変わんないよ」
「図体ばかりでかくなったわけか」
「成長期なんだから、当たり前だよ。予定通りに大きくなったんだから、驚くような変化なんてなにもないの」
「変わった内に入らんと言いたいのか」
「もうずぅっっと、あの時のまま」
「そうか」
 茉那美先生は目を閉じて思考を巡らせていた。掴みどころのない律の会話にどう対応するべきかを考えているのだ。

「胡桃ちゃん、絵は描いてる?」
「うん、体調がいいときはね。りっちゃんは?」
「ずっと暇だから描いてるよ。この間、見せたのがあるじゃん」
「うん」
「でも… ただ描いてるってだけで、満足できないんだよなー」
「それはそうなんじゃない? 私も描く度に思うよ」

 たぶん、胡桃の思っているような不満とは違うのだろう。律には解っていた。胡桃や他の作家の場合は向上心があるから改善点が見えてしまうのだ。作品を描いても満たされないのはもっといいものが描けるという想いからに違いない。
 律の場合は根本的に足りないのだ。
 必要なパズルピースが足りない状態でパズルを作っているみたいだった。
 絵を描くのは好きだけど、もっと上手になりたいわけじゃない。
 途中で飽きてしまった。だから律の作品はほとんどが未完成だ。もうキャンバスに描くところがなくなってしまったから筆を止めているだけで、これで完成だと区切りをつけたことは一度もなかった。勝手に他人が完成品だと思っているだけだ。

「一緒にがんばればもっとたくさん上手くなれるよ」
 胡桃は無邪気に笑って紅茶を飲み干していた。

 律は胡桃と一緒に勉強ができるのであればそれで充分だ。一週間だけという予定だけど、それは夢の様な時間になるだろう。絵に関しては意見が交わらなくても構わない。始めから向上心などないのだし、才能で言えば胡桃のほうが天才肌なんだから最初から勝負にならないと解っている。

「そうだ、肝心なこと聞くの忘れていた。お前、ちゃんと親の許可は取れたのか?」
 茉那美先生が切り込んできた。
 先生と胡桃を招聘しようと決めてから、ずっとパパには内密にしてきたのだ。だから先生には適当にごまかしていた。
「…大丈夫だよ。きっと」
 律はパパに当て付けるように二人を呼んだ。来てくれればもうこちらのものだ。さすがに追い返したりはしないだろう。ミッシェルのように仕方がないと言って許してくれるはずだ。

「…そうか、おかしいとは思ったが、やっぱり話してないのか」
「??」
 胡桃は驚いたように先生と律の顔を交互に見回した。

「ふふんっ パパの思い通りになんかならないんだから」
 律はすべてがうまくいくと保証するかのように、にーっと笑って見せるのだった。

2016年12月3日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(3)

 スカイエルムタワーは地上60階の高層ビルだ。
 最上の60階と59階には真田家の居住スペースがある。そこにはメイドや家庭教師を含めて20名近くが暮らしていた。律は一人っ子だし、パパはママと別居しているから、真田家の人間は二人だけだ。
 同じビルの20階から40階まではパパが働いている真田総研が入っていた。60名程度の正社員を抱える研究機関である。
 スカイエルムには他にもホテルやスポーツジム、ショッピングセンターが入っている。地上部には郵便局や役所などの施設もある。スカイエルムはビル全体が町として機能していた。 
 律は最上階の一室でずっと暮らしてきた。6歳くらいからだろうか。パパとママが別居を始めてから律はパパと共にこのスカイエルムに移住してきたのだった。

 外の景色は一面が白銀に覆われている。
 律はベランダの窓から空を眺めていた。鉛色で見ていても何も楽しくない。それでも律は落ちてくる雪の結晶を見つめていた。

 最も遠くに外出できた場所と言えば、パパと一緒に降りた地下一階までだ。それが6年間での最長記録だった。警備員、監視カメラ、監視ロボットで厳重に律の行動は制限されている。
 外出にはいくつものチェックポイントがあり、IDカード、指紋と声紋で出入りは管理されている。律のカードはパパが持っているし、律の指紋や声紋では受付のゲートが開かないように設定されていた。
 つまり勝手に外出することは不可能。
 パパの許可がない限り律は囚われの身なのだ。

 律は勉強机に向かってノートを開いた。旧式のノートパソコンで、ネットの世界にも制限がかけられている。メールか特定のウェブサイトしかアクセスできないように設定されているのだ。
 メールソフトを起動してチェックする。
 来ていたのは一通のメールだけだ。

『ALRIGHT』

 その一文だけが書かれていた。律はにんまりと口を曲げる。
「ねぇ 有亜っ 茉那美先生が来てくれるって!」
「…はぁ… それは良かったねぇ、りっちゃん」

「お嬢様? 誰それ?」
 コルルが後ろから抱きついてくる。

「あたしの先生。コルルの知らない人だよ」
「ふーん。来るってここに?」
「そ」
「え? …いいのそれ?」

 律はコルルの言葉を無視して机から離れる。コルルを引き摺ったまま部屋の外へ出ようとした。入り口には織愛が立ちはだかる。
「どこいくのかな?」
「玄関ホール」
「お嬢、そんなとこに何の用事?」
 織愛は少し困った風な表情をする。律の勝手な行動は慎むようにパパから言いつけられているのだ。
「新しい家庭教師の先生が来てくれるから、お迎えに行くの」
「えぇ??」

「おっ嬢様? マジガチな話?」
 コルルが足を絡めてのしかかってきた。行かせないという意思表示だろう。それを予測していた律はゆっくりお辞儀する。
 コルルは律の背中に乗って、体重をかけるが軽すぎて律には無意味だ。お辞儀されて、背中が傾いていったのでコルルは前方に刷り落とされる。
「おっとっと… んふんぎゃ…」
 ぼすっと、コルルは床に寝転がる。

 律はコルルを跨いで部屋を出ようとするが、織愛は律の肩に両手を置いた。
「お嬢ってば、待ちなさいよ。お昼からお偉方との会食にパパと同席しなきゃでしょ? 今から美容室行かないと間に合わないよ?」
「キャンセルでいいんじゃない? パパにも断っといて」
「ちょ!」

 律は織愛のガードも笑顔ですり抜けてドアを開ける。3人のメイドはついていかないわけにもいかないので後に続いた。

「お嬢様!」
「お嬢ったら」
「りっちゃーん」

 廊下を走り、ホールに出て、エレベーターを呼び出す。
「だって、知らない大人と一緒にご飯って意味がわかんなくない?」
「パパはお嬢をご披露したいのよ」
「あたしって見世物なの?」
 ドアが開いてエレベーターに4人が乗り込む。
 59階と60階を行き来するためだけの箱だ。すぐに階下に到着した。律はずんずんと歩いて58階へ行くための階段に向かった。つまりは真田家の玄関だ。
 すっとダイニングルームからメイド服の女性が顔を出す。

「どこに?」
「おはよ、ミッシェルさん」
「お嬢様、どこにと聞いているのです」
 メイド服の女性が立ちはだかり、律は足を止めざるを得なかった。
「…えっと、玄関」
 律は目を逸らした。目の前のミッシェル・ヴィナスはメイド長でありコルルの母親でもある。さらに律の母親代わりでもあって、パパから律の生活管理を委任されている人物であった。
 家を空けることの多いパパに代わって家庭内を取り仕切っている大人物である。

「すぐに嘘を吐く。隠し事ですね? 真田様にご報告にあがらなくては」
「あっ えと… あたしのお客さんなの。友だちっていうか、先生…」
「アポイントは確認しておりません。真田様の許可は?」
「後で取るつもり… じゃだめ…?」

 ミッシェルは大きくため息を吐いた。
「外はお嬢様には危険です。よっぽどの事情がない限りお嬢様はここに居なさいな。幾原さん、お嬢様のお客様とやらをゲストルームに呼んできてください」
「ありがとミッシェルさん」
 律はこれでいいだろうと睨んでくるミッシェルににぃっと笑顔を返した。

2016年11月26日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(2)

***

 バスルームを出ても悪夢は続く。
 律を取り巻く4人の専属メイドたちは歯磨きの手伝いから下着の替えまで用意してくれるのだ。ドライヤーで髪を乾かされながら、新しいTシャツを被せられる。犬のキャラが描かれた子どもっぽいデザインだ。クリーム色のカーディガンにブラウンのショートパンツを身に着けていった。
 律は着せ替え人形のように突っ立っているだけで良かった。いつの時代のお姫様の話だろうと思う。
 不自由だ。
 律は外の世界に飛び出してみたいと考えていた。
 もうずっとパパの言うことを聞いてきたのだ。病的なまでに従順だった。3年前くらいまではおかしいとも思わなかった律だが、どうも異常なのだと気づいて、近頃は専属メイドたちの存在もうっとうしくなっていた。
 律はこの不自由な現状を抜けだして、次第に遠くへ行ってみたいと願うようになる。

「ねぇ有亜。ブラシ貸して」
「ハイどうぞぉ」
 奥野有亜(おくの ありあ)は唯一の理解者と言っていい。専属メイドの中では新参者だが、何もやらせてくれない他のメイドと違って、最低限のことは自分でやらせてもらえるのだ。18歳という年齢は姉代わりにもなって、律は有亜のことをよく慕っていた。
「髪留めはどれにするぅ?」
「赤いのがいい」
 律は差し出されたプラスチックのケースからきらきらと朱色に光る髪留めを手に取る。

 律の髪は腰まである黒のストレートで、柔らかく、さらさらとした髪質だ。髪留めで長い前髪を分けて、もみあげは伸ばしている。すべて有亜に憧れてそっくりマネた結果だ。シャンプーやリンスも同じ銘柄だし、香水も同じものを使っている。少しでも彼女に近づけるよう、メイクの手ほどきも受けていて、身近に思っているのだった。
 有亜だけは他のメイドたちと違って特別だ。掛け替えのない存在と言っていい。

 ひたっ… と長身の女性が近寄ってくる。
「お嬢っ、パパ上さまから銀色の髪留めにしなさいとのお達しが来てますよ」
「え?」
 律は鏡台越しに写る幾原織愛(いくはら おりえ)の顔を見上げた。
 ふわりとウェーブした髪に、四角い赤フチのメガネ。歳は有亜と同じでとてもグラマーな身体つき。柔らかい口調で語りかけてくれるが律の味方ではない。

「今日は外国人のゲストがいらっしゃるとかで、ドレスアップして同席しなさいって」
「髪留めの色をわざわざ指定するわけ?」
「おしとやかに見えるようにしておけってね。そう言われてるのですよー」
「赤じゃダメ?」
「おてんばのイメージだわね。いいからこっちにしておきなさいって」
 織愛の手から銀のラメが散りばめられた髪留めが渡される。

「…んえー」
 不満を言っても始まらないことは解っている。しかし反抗しないと何も現状は変わらない。パパには無駄と解っていても逆らわなければいけないのだ。
「無理」
「パパ上さま泣いちゃいますよ?」
「…う〜ん… …わかった」
 結局は言うことを聞くことになるのだ。早めに撤退するに限る。
 逆らい続けても今まで律の思い通りになることは一度もなかった。パパが提示する選択肢の中からであれば一応の自由はあるけれど、それは律の好みからかけ離れているし。だから少しずつ反抗の狼煙を上げていって、いつかは親離れしたい。
 いずれチャンスは訪れるだろうと思う。

2016年11月19日土曜日

律の見た予知夢は当たらない(1)

 夢を見ていた。

 真田 律(さなだ りつ)は深い湖の底に沈んでいく。
 淡水湖には奇妙な生物ばかりが棲んでいた。出来損ないの動物クッキーが漂っているように見える。微弱な光源しかない無音の世界だ。

 律は思う。
 齢12年と半年。栄養もたっぷりあって、こんなにカワイイ女の子なのに。充分に美味しそうなつもりだけど、どの魚も食べにやってこない。律は魚たちに無視されていると悟った。
 無気力につぶやく。
「少しは興味を示せっての…」

 底についたと思ったけれど、どんどん身体は沈んでいく。
 延々とゆっくり沈み込むのだ。
 少し息がしづらい程度で、苦しいとは思わない。だって始めから夢だと解っているから。
 そもそも喋れるのだっておかしいじゃないか。

「…いやだな」
 律の予知夢は当たる。
 欲しいものはだいたい手に入るのだ。自分の部屋にある色鉛筆の200色セットや、大きなクマのぬいぐるみも、かつて夢の中に出てきたものだ。ねだったことはないがパパがいつも勝手に買ってきてくれる。
 夢に見たものは凄まじい確率で自分のものになった。どうやってパパが律の頭の中を覗いているのか不思議で仕方ない。部屋の中は夢で見たものと同じもので溢れ返っていた。

 もういいよと思うが、見たくなくても夢は勝手に現れる。
 この深い湖もまた予知夢の一つだろう。浮上できないという点では律の現状を描いた心象風景のようだ。それとも実際にどこかの湖に落ちて実際に死んでしまうのだろうか?
 バカバカしい。
 あり得ないことだと思う。

「おっ嬢様ぁ?」

 …だって部屋から出られないんだもの。
 実の娘を部屋に閉じ込めて、ずっと外の世界に出さないなんて正気の沙汰じゃない。律は段々と息苦しさを覚えてきた。この部屋は目に見えない淡水で満たされているんだ。この予知夢はやっぱり当たっていると言える。

「そろそろ浮いてこないとガチで死ぬよ〜?」
「!?」
 冷たい…。いや熱いのか…? 身体が濡れてる?
 水面はすぐそこだった。

「ぷぁっ」
 律はもがいて、身を起こして湖から抜けだした。両手で顔を拭って息を吸い込む。よく見れば自室のバスルームじゃないか。律は荒い呼吸を繰り返しながら、腹立たしさを覚えた。

「起きた?」
「起きた? じゃないっ!」
 律は状況を把握する。

「お風呂に浸かってるのに起きないなんて相当だよね〜。ウチのお嬢様は」
「コルルッ いい加減、普通に起こしてよ!」
「だってぇー…。お嬢様ったら くすぐっても、鼻に指入れても ぜんぜん起きないんでぇー、仕方ないんすよ」

「…ぁそう」
 律は眠い目を擦って、改めて湯船に浸かる。既に怒る気力は失せていた。いつものことと言えばそれまでだし、確かにこうでもしないと起きられない自覚はあった。
 寝起きの悪さだけはいつまで経っても治らないのだ。
 湯船の中でパジャマを脱いでいく。薄紫の上下と、白い下着を脱いで、覗き込んでくるメイド服の少女にべちゃりと手渡した。

「ウチのお嬢様のおっぱいはいつになったら大きくなるかね〜」
 肩までのカールした金髪に、青い目を輝かせるのはコルルレット・ヴィナスという名の少女だ。真田家専属のメイドで、彼女は主に律の身の回りの世話を得意としている。
 1つ歳下のはずだが…、と律は毎朝そのことを思い出す。コルルは浴槽の縁に腰掛けてにぃっと笑いかけていた。可愛い八重歯が覗いているが主を主とも思わない非礼の数々にうんざりだ。

2016年11月12日土曜日

ラプンツェルの消失(4)

「どこにもいませんねぇ、りっちゃん」
 奥野有亜(おくの ありあ)は、単に地下と呼ぶ『最下層居住区』の出身者だ。出自としては貧困層になる。彼女は真田家にメイドとしてやってきて一年にも満たない。
 大人しい娘で織愛と同い年の18歳だ。
「間違いなく、お嬢はここに居た。パパにぶん殴られてから部屋に閉じこもって一回も出てきてないはずでしょ」
 織愛はもっと捜すように有亜に頼む。

 少し困ったように、ふとんをめくったりして有亜は部屋の中を右往左往した。
 鈍くさくて焦りが見えない。彼女は律と同じ黒髪のストレートのロングで同じ髪留めをしていた。仲が良いから律と同じなのだ。というか律のほうが有亜に憧れて馬鹿みたいに真似ているのだ。有亜が髪型を変えれば律もまた同じように変える。身長と胸の大きさが違うだけで劣化コピーのようだった。律は有亜を姉のように慕っていた。有亜に近づこうとしていたのだろう。一番身近な大人として有亜のファッションセンスや化粧のやり方を学び取っていたわけだ。
 しかし、おっとりした有亜と比べれば、律は雑な性格をしている。外見的に同じようでも、律がすまし顔をしたところで有亜との見分けはつく。

「どうして奥野さんは部屋に居たの?」
 織愛はもう一度、整理し直す。茉那美と胡桃の二人がやってきてゲストルームで律とお喋りしているとき、律の世話係である有亜はこの部屋に居た。
 世話係なら常に律の近くに居るべきだ。
「幾原さんたちが一緒だったから、その隙きに掃除しちゃおうと思ってぇ」
「監視役でもあるんだから目を離すなってパパ上様から言われてるでしょ?」
「そうなんだけどぉ、気になっちゃってぇ」
 有亜は溜まった埃を拭きたそうに常にウズウズするようなところがある。どうもネジが抜けたような感じだ。コルルといい、胡桃といい、律の周りには不思議な感じの娘が集うようだ。

「りっちゃん可哀想。あんなに泣いて。頬も真っ赤っ赤で」
 有亜は窓の外を見て呟いていた。
「奥野さんが部屋を捜してる間にお嬢が出ていったってことはない?」
「ほぇ?」
「例えば奥野さんがバスルームを覗いている間に、ベッドの下に隠れてたお嬢がこっそり部屋を出ていった。とかね」
「念のためって言われたので、部屋の鍵は閉めてましたし、廊下には監視カメラがあるので…」
「それもそうね…」
 抜けているようで抜かりはない。織愛は自分もしっかりしなければと気を引き締め直す。

 幸晴に報告しておこう。律の捜索は事態の進展しないままだ。幸晴のほうに誘拐犯から何かコンタクトがあるかも知れない。
 織愛は有亜を部屋に残して、再度 階下に降りる。

2016年11月5日土曜日

ラプンツェルの消失(3)

「出てこないのなら今日はもう帰るしかなさそうだね」
 中田茉那美は織愛にそう告げていた。
「すみません! 旦那様の言いつけで外に出てもらうわけにはいきませんので…」
 織愛は押し戻そうとする。
 ゲストルームの扉の前で茉那美と杉田胡桃が出てきたところだった。

 織愛はこの二人が律の誘拐に関与している可能性を考えていた。茉那美は真田幸晴に対立する唯一の人物だ。
「真田さんのご命令なら背いても構わないな」
 茉那美はこともなげに言ってのけた。
 相当に幸晴を嫌っている様子だ。

 茉那美は教育者として律を育てることに熱心であった。学院に通わない律のような子どもを見るためにフリーの家庭教師は需要として伸びていたのだ。
 名の知れる茉那美を雇った幸晴はすぐに教育方針で対立し、一月もしない内に解雇を言い渡していた。情熱もあるし技能も優れているが、幸晴の目には良くないことを吹聴するペテン師と映ったらしい。
 律は茉那美のことを大好きな先生と無邪気に言っていた。だからこそ3年を経て招聘したのだろうが、幸晴に黙って呼んだのはまずかった。
 茉那美のほうとしては律を連れ出すチャンスと見ているのかも知れない。
 確かに外部の目から見れば、ここは異常な家だ。娘を一生 閉じ込めて外に出さないようにする幸晴の方針は異常に見えるだろう。だから誘拐というよりは鳥かごの鳥を自由にしてやろうとする行為に似ている。茉那美はきっと律のことを不憫に思っていて誘拐を企てたのではないか。

「とにかく日を改めましょう。りっちゃんにもよろしく言っておいて下さいます?」
「ちょっとお待ち下さいっ」
 止められはしない。警察のような拘束力は民間にはないからだ。
 杉田胡桃も織愛の横を通り過ぎていく。パステルカラーの大げさな旅行カバンとトランクを引いて廊下を進んだ。

 胡桃は髪が短く、目のぱっちりした大人びた少女だ。
 織愛は初めて逢うが不思議と親近感がある。自然体というかセレブリティな雰囲気があった。
 絵を描く好きで、茉那美を通じて律と友だちになったという。一週間ほど泊まり込むつもりで来たのに、幸晴に反対されるは律も部屋に閉じこもるはで意気消沈している様子だった。
 モコモコのニット帽を深々とかぶって、ダウンジャケットを着込む胡桃は、もうここに留まる意思がないということがよく解る。
 つまらなさそうに口を尖らせて茉那美に付いていった。

 ひょっとしたら律はこの二人と一緒に家を出るつもりだったのかも知れない。茉那美に出逢うまでの律はパパに従順だったはず。たった一ヶ月間であっても外からの刺激は律を突き動かしたのか。だから律は自らの意思で茉那美とコンタクトを取っていたのだろう。

「私たちはしばらくルーセントホテルに泊まりますから」
 茉那美はロビーを抜けて玄関をくぐる。
「…」
 胡桃は胸の高さにモニターを表示させていてゲームでも遊んでいるみたいだ。まだ律と同じように子どもっぽいところもある。
 茉那美の後について胡桃も出ていった。


「お疲れ、コルル…」
 織愛はコルルに電話して、茉那美の尾行をするように指示を出していた。
「今、中田先生と不思議少女ちゃんが46階に降りたわ。エレベータで地下に行くと思う。追ってくれる?」

 あの二人はコルルに任せよう。織愛は律の部屋に戻ることにした。

2016年10月29日土曜日

ラプンツェルの消失(2)

 その日の正午は珍しく律に客があった。
 三年前に律の家庭教師を務めていた茉那美(まなみ)という女性だ。黒のスーツにショートカットのすらりとした出で立ちで、胸は自分より大きいと織愛は思った。

 真田家の当主・真田幸晴(さなだ ゆきはる)からは大いに嫌われている人物だ。嫌われているので彼女を呼ぶ理由はないはず。勝手に来るわけもないので、ということは律が呼び出したに違いない。
 もう一人、絵描きの友人である杉田胡桃(すぎた くるみ)という女の子が来ていた。茉那美に連れられて来たらしい。茉那美の生徒であり、律と歳は近いはずだ。ほわほわとした感じで童顔のお嬢様タイプ。マイペースそうな歩き方やアーティスト気質なオーラが漂う娘である。

 この二人の客が来て一時間もしない内に事件は始まった。

 まずは真田幸晴との衝突である。
 幸晴が茉那美の前に現れたのだから大ごとだ。折り合いの悪い者同士だ。かつては律の教育方針の違いで議論を戦わせてばかりであった。
 だから、また言い合いバトルが始まると織愛は思っていた。しかし予想に反して幸晴は冷静だった。一瞥するだけで方々に電話をかけ始める。

 誘拐の予告が電話であったらしい。
 今から攫いに行くなどと宣言するとは大胆な犯人だ。職場と自宅は目と鼻の先だ。幸晴は1分とかからず自宅に戻り、律の安否を確かめに来たのだった。

 衝突したのは律と幸晴だ。
 幸晴がゲストルームに乗り込んできて、談笑する律と茉那美たちの間に割って入る。珍しく律は反抗した。彼女が父親に逆らうなど初めてではないか?
 激情した幸晴は律の頬を張った。
 律は自分の部屋に返されることになる。というかゲストルームを飛び出して自分の部屋にこもった。織愛とコルルは追いかける。亜俚亜だけが律の部屋に待機していた。
 だが、亜俚亜も程なくして追い出される。部屋の前で3人のメイドは警戒するように言い渡された。物理的には侵入経路など他にない。警戒網をかい潜るなど不可能だ。

 次にドアが開いたとき、律は消えていた。
 不思議としか言いようがない。忽然と消えていたのだ。

 父親との喧嘩があったからと言って、どうして側を離れてしまったのか、悔やんでも悔やみきれない。
 織愛は常に律の近くに居なければいけなかった。それが彼女の仕事だからだ。出勤してメイド服に着替えてからはずっと側に居たのに。
 織愛の仕事はボディガードが主な内容だったのだ。

 思い返してみる。一度だけ離れることになった。
 茉那美と杉田胡桃がやってきたときだ。直接 迎えに行こうとした律を制して、代わりに織愛がロビーに降りた。
 外からやってくる人間をチェックもなしに律へと近づけるわけにはいかなかった。

 二人をゲストルームに案内して律を呼ぶという手順だ。この時間だけは律と離れていた。日常と変化があったことと言えばそれくらいだろうか。
 誘拐犯の入り込む隙きなどないと断言してもいい。
 誰かの手引があれば別か…。
 茉那美と杉田胡桃はどこに居る…?

 騒ぎで気にかけていなかったが彼女たちの姿もない。

「!?」
「どったの?」
 コルルが織愛の顔を見て尋ねた。
「家庭教師と生徒の娘を捜して!」
 まさかとは思う。あの二人が誘拐事件に関係しているのか?
 コルルはロビーを出てマンション内を捜しに走った。織愛は二人の居場所を確認するべくゲストルームに向かう。