2016年8月27日土曜日

密室のショートケーキ【序章】

【序章】

 ファーストキスの味はねっとりと甘酸っぱかった。
 私が極度の拒否反応を示して、相手を突き倒してやるには充分な理由だ。

 私はモデルルームを飛び出して、泣きながら粉雪の舞う町をさまよった。そういうことに耐性がないということもあるけれど、意図せず突然 唇を奪われることに嫌悪感があった。好きとか嫌いとか意識もしないやつだったのに、いきなり迫ってくるなんて気持ちが悪いと思うのだ。

 だいたいイベントごとなんてガラでもないのに、こんなパーティーに参加してしまったことがそもそもの間違いだったのだ。
 私はその日、里佳子せんぱいが突如として言い出した『壮行会』に参加させられていた。
 玉高通信の部長である響 里佳子(ひびき りかこ)せんぱいは暴虐的で他人の意見は聞かない人だ。トップダウンで命令しては正式な部員でもない私をいいようにこき使う。

「荻原絢香(おぎわら あやか)くん、君の手づくりショートケーキが食べたい…」
 里佳子せんぱいはそう言って私に手づくりケーキを要請してきた。お菓子づくりが得意だと知って目をつけられてしまったのだ。

 『玉高通信』は通信社の真似事のような部活で、部員は他にあと二人居る。
 そして壮行会の準備は、里佳子せんぱい以外の部員たちで着々と進められていった。

 送り出される人として現生徒会長である花巻恋乃葉(はなまき このは)せんぱいが呼びだされる。生徒会長選が過ぎ去って季節が変わった頃に、何を壮行するつもりなのかは知らないけど、恋乃葉せんぱいはノコノコと顔を出したのだった。
「生徒会長、当選おめでとう」
「そういうことは2ヶ月前に言って欲しかったですね」

 恋乃葉せんぱいは嫌味ともとれるニヤけ顔の里佳子せんぱいに言葉を返した。
 始めから来なければいいのにと思うほど、嫌そうな顔をしていたけど恋乃葉せんぱいは生真面目にもやってきたのだ。嫌なら断ってくれればいいのにと思う。
 恋乃葉せんぱいの両親が経営する高層マンションのモデルルームまで借りて、恋乃葉せんぱいの壮行会はしめやかに行われた。

 私たち玉高通信の部員の4人と、それから敵対しているはずの生徒会会長・恋乃葉せんぱい、それから里佳子せんぱいの弟である和毅くんまでなぜか呼び出された。
 里佳子せんぱいは当日、黒縁メガネに鼻とヒゲをくっつけて登場した。サンタの衣装に身を包んでプレゼントは一切持ってこなかったけど、とてもウキウキしているのが解った。
 素直にパーティーがしたかったと言えばいいのに、と思う。
 普通のクリスマスパーティーだと解っていれば私は参加しなかった。私は里佳子せんぱいに騙されていたのだ。
 そのせいで無駄に泣いたり、無駄にキスを味わったりした。
 参加さえしなければ無駄に事件も起きなきなかったはずだし、無駄に誰かを疑うこともなかった。
 無駄に時間を浪費して、挙句に何も解決しなかった日だった。
 私はパーティーに参加したことを心から後悔していた。

 12月24日。
 密室からショートケーキが消えた日である。

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2016年8月20日土曜日

鏡のように

 私たち姉妹は似ていない。

 憎たらしいくらいだ。
 どちらかが橋の下で拾われてきたのではと思うほどに、性格も嗜好もまったく相容れないと思う。どうしてこんなにも違うのかずっと考えていた。

 妹の前をずっと走り続けてきた私だから、彼女のことは俯瞰で見ることができるのだ。

 私は沙智とは違う。
 第一に、私は親の言うことをよく聞くということ。お母さんのお使いには必ず私が行くことになっているのだ。それは暑い季節でも文句も言わずに遂行する。普段から身体を動かしていい運動にもなっているし、自分のことに直結するのだから断る理由もない。
 だが沙智はと言えば、自分の部屋でファッション雑誌を読んで、横になっているばかり。何の役に立たない。口だけ達者になってサボることばかり覚えて、将来が心配だ。

「ねむ…」
 現に沙智は居間のソファに転がって動かないままだ。雑誌を床に置いてうつ伏せになって見ている。日曜だからってお昼までだらだらとパジャマのまま寝転んでいるのだ。
 彼女はいくらお尻を叩いたって、動かないときはテコでも動かない。何をやらせても何も続かないというダメな性格だ。
 私はあんなにグータラではないし、凝り性だから何事も途中で止めたりしない。何ならハツカネズミのように走り続けることだってできる。私は姉として規範になり、何をやらせても続かない妹に道を示す必要があると思っている。

 鑑にならなければいけないのだ。

「…ふう…」
 私は彼女とは違うと思う…。
 顔立ちだけは似ているらしい。
 似ていると人によく言われるが、確かに沙智の顔を鏡で見ているような気持ちになるときもあった。

 部屋の隅を見つめて短く溜息を吐いた。
 自分もパジャマ姿であることに気づいて、早く私服に着替えようと思った。

 第二に、沙智は口が上手いということ。
 これによって親の言いつけを聞かなくても危機回避することができるようだ。
 そして欲しいものはだいたい親に買ってもらう。

 第三に、沙智は飽き性であるということ。
 苦心して買ってもらってもすぐに飽きてしまう。
 言い出しっぺの沙智が気づいたらどこかに行っている、なんてことはよくあることだ。嫌なことはすぐに人に押し付ける。始めは楽しくてもすぐに飽きてしまうのだ。
 朝のランニングだって、二人で始めても続けているのは私だけ。それもよくある話だった。

「どこいくの? あっちゃん」

 沙智の声に私はびくんっと足を止める。

「あっちゃんも止めたの? ダイエット。また三日坊主じゃん?」
 沙智はニヤリと私の背中に浴びせかけた。

「私は… ちょっと休んでるだけ。完全に諦めたさっちゃんには言われたくない…」

 沙智がお父さんにねだって買ってもらったランニングマシンは、今は部屋の隅に押しやられている。いつか再開しようと思っているのだから、私はやめたわけではない。

「ふーん。ちょっとねぇ?」
「そう。ちょっとよ」

 せっかく買ってもらったランニングマシンだ。
 私だけは続けるつもりである。
 今はタイミングを見計らっているだけ。

 だから私は沙智とは違うのだ。

2016年8月13日土曜日

絶望の世界と希望のインスタントラーメン

 どうしたら地球に帰れるのだろう。
 早く元の世界に戻りたい。

「教えてあげよっか?」
「いい…。黙っててくれる?」

 状況は絶望的だ。
 沙智は長い間うずくまっていた。同じ姿勢のままで時を過ごす。

 ずっと考えていた。絶望に囲まれた世界では誰も助けもやってこない。残った食料と水は僅かだ。沙智は立ち上がることはできない。
 加えて外敵はもうすぐそこに迫っていた。これでは迂闊にトイレにも行けない。何もかもが閉塞的だ。

「もうすぐインスタントラーメンが食べられるでしょう」
「…何? 予言?」

 絶望を感じているのに、たまきに危機感はない。

「その前に敵に捕まるでしょう。猿は人間の言葉を話して怖いし、結局のところ地球なのね。悪いのは全部人間でした。めでたしめでたし」

 たまきは冗談交じりに預言者か占い師のマネをしていた。何もない空間に手を差し伸べて、水晶球でも見えているのだろうか。ワケが解らなかった。

「暇なら帰ったら?」
「このCMソング知ってる?」

 しかしたまきは寝転がって歌を唄い始めてしまった。ステーキが空を飛んでいるとかそんな内容だ。最近よくテレビCMで流れていて、学校でも人気だ。
 いきなり話題を変える奴はムカつく。
 沙智としては迷惑に思う一方、たまきの危機感のなさに救われている部分もあった。

「人生幸せそうでいいね。何も考えてない人って憧れる」
「ステーキにライドオンしてると食料に困らな…、え? なに?」
「…何でもない」
 沙智は膝を抱えてジッと耐えた。

 今に助けがやってくるかも知れない。むしろそうじゃないとおかしい。物語の主人公はこんなことで命を落とさない。脇役が死ぬのは仕方ないがハッピーエンドじゃないなんて、沙智は納得がいかなかった。どんな状況でも立ち向かわなければと思う。

 ちらりとたまきを見る。
「どっちかというと脇役はたまきだよね?」

「えー… まぁ… …さっちゃんが主役ならそうだねー。でもあたしから見たらさっちゃんが脇役になるんだよ?」
「たまきの人生の主役と脇役の話はしてないよ。映画だったらの話。女優として出るならたまきは主役じゃないよねって話ね」

「…えーと、だったらさっちゃんも主役になれないよねー。学芸会んときは“野垂れ死んでる盗賊”の役だったもんねー」
「昔の話もしてない。私は演技向いてないもん。見るほう専門だし」

「主役やらないなら あたしがやってあげよっか?」
「私の人生の主役の座を奪おうとしてるの? しばらく黙っててくれる?」

 沙智は集中して考える。

 どんな結末を迎えるのだろう…。 
 しかし、たまきの予言通りに映画のクライマックスシーンでその惑星は実は地球だったと明かされるのだった。
 悪いのは全部人間なのか? 伏線なんか、あったっけ?
 沙智にはよく解らなかった。
 長く旅をしていた結果がこれじゃ救われない。
 さすがに昔の映画だ。

「ね? 言ったとおりっしょ?」
「黙っててって言ったのに… オチ喋ってたんだね」

 部屋を明るくしてテレビの電源を切った。その映画を見終わった感想は、空飛ぶステーキの変なCM曲のことしかなかった。

 沙智は立ち上がってトイレに向かう。
「今度オチ喋ったらビンタするから」

「予言はもう一つあるよ? あたしお腹すいたんだけど当たるかな?」

「当たると思う?」
「じゃ、こっそり持って帰るから、この予言も当たりだね」

「コソドロっ。悪いのは全部たまきだっ」

 沙智はようやく元の世界に戻ってきた気がした。

2016年8月6日土曜日

恋の音

 響 和毅(ひびき かずき)は恋に落ちていた。
 彼女に初めて逢ったその日、皿でも割れたかのようなショック音が頭の中で響いた。

 これが一目惚れというものか。

 和毅は引きこもりがちで、普段から友だちや家族とも上手くコミュニケーションが取れないでいた。クラスでは浮いた存在となっていて学校は好きになれなかった。考える必要もないから一人でいるほうが気楽なのだ。
 だが、ずっと引きこもっていることはできなかった。
 和毅には一際 変わり者の姉がいて、二人して偏屈な姉弟と陰口を叩かれることも多いのだが、この姉が和毅を家から引きずり出すのだ。
 睨まれて学校に連れていかれ、勝手にアルバイトの申し込みをされ、町の清掃のボランティアにも駆り出された。
 姉はそんな和毅を心配でもしているのか、いつもアルバイト先に様子を見にやって来る。
 余計な世話だ。勝手なことをされると腹が立つ。監視のつもりか? 憎らしいし、理不尽さに怒りを覚えた。
 鬱陶しいとしか思えなかったが、しかし今では感謝しているところもある。

 彼女と出逢ったのは姉のおかげでもあるのだ。
 嫌だった学校も、アルバイトや町の清掃も苦にはならなかった。清掃のときは彼女も参加しているのだ。見ているだけで幸せだ。他に何もいらないと思ったが、和毅はもっと前に進みたいと思うようになる。

 彼女が近づいてきてそっと手を差し出す。しかし、それは和毅とは別の男に手向けられていた。背の高いぶっきらぼうな男だ。
 手紙でも渡しているように見えた。悔しいし自分が情けない。

 どうして自分があの場所に居ないのだろう。
 和毅はどうやったら自分にチャンスが訪れるのかを考えてみる。紳士的に恰好良く、スマートに振る舞えるように、少しずつ外の世界に慣れて、大人の男になるしかないだろう。だが、彼女に相対することへの恐れが上回って何も手に付かない。手や足が震えて体温が上昇する。
 自分には敵わないのだろうか。
 何も喉を通らなくなる。

 しょせん、引きこもりには無理なことなのだ。
 彼女の前に立つ勇気がない。
 そんな自分にも腹が立った。

 ある日、突然に好機は訪れる。

 アルバイト先のファミレスはいつもと違って混雑していた。
 彼女が精算をしにレジの前へやってくる。姉の里佳子を伴っていた。
 レジカウンターの内側には誰も居ない。やったことはないが大丈夫だろう。たまたま近くに居た和毅は初めて彼女の前に立つことになる。レジでお金を受け取り、精算を済ませる。初めてにしては上出来だ。
 見よう見まねで釣り銭を渡す。

「あっ」

 またあの音が響く。
 だが以前と違って小銭が床にばら撒かれるような音だった。

 店内の客たちが注目していた。こんなことになってしまったのは自らの手が震えて彼女の掌に渡せなかったのが原因だろうか。

「お前ミスばっかだな。先週も皿 割りやがって」
 背の高いぶっきらぼうな先輩の社員に叱られるが、和毅は聞いてはいなかった。

 彼女は焦りながら「ごめんなさい」と言って小銭を拾っている。和毅もそれを手伝った。どうして彼女が謝らなければいけないのだ。悪いのは自分なのに…。

「和毅、取っておけ。お前の小遣いだ。荻原、時間がない。急ぐぞ」
 里佳子がさっさと彼女をつれて店を出て行った。玉高通信の取材活動拠点となっている店なのだ。彼女たちも忙しいらしい。

 少しずつでいい。
 一歩ずつ、彼女の前に堂々と立てるようになればいいじゃないか。
 外の世界にも慣れてきたし、彼女の名前を知ることもできた。
 だから姉にはよくよく感謝している。
 

2016年7月30日土曜日

雨の日の捜索願い

 「もうさがさないで」
 そう記されたメモが見つかったのは今朝のことだった。

 沙智は事態は深刻であると一瞬の内に悟る。

 ノートの切れ端にミミズの這ったような字が記されていた。幼稚園児並みの字面だ。悪ふざけで書いたものではないということは妹の沙智にはよく解る。

「家出…!?」

 姉の絢香が家から居なくなったのだ。
 昨日のケンカが原因だろうと思う。
 絢香の買った高級なハンドクリームを、沙智はいつも使い過ぎる。
 勝手に使った使わないで、これまで何度か言い合いにもなった。

 沙智は絢香の部屋を飛び出して、両親に家出のことを伝えた。
「そんな度胸はないでしょ」と母は笑い、「お腹が空いたらケロッと帰ってくるよ」と父は娘のことよりゴルフの練習のほうが大事なようだ。親は当てにならない。

 一人でも心当たりのある場所を探すことにする。絢香が行きそうな場所はだいたい見当がつく。家以外の居場所は限られているから。学校か、たまきの家か、行きつけの喫茶店くらいだ。

 始めにたまきの家に行ってみる。
 公園を一つ挟んですぐの隣だから絢香も行きやすいだろう。

「来たような来てないよーな」
 たまきは床でごろりと眠りながら答えた。
 酷い寝相だ。
 蒸し暑い部屋でお腹を出したまま。寝汗がびっしり。パジャマのシャツをしまってやって扇風機をかけてやる。

「来たの? なんか言ってた?」
「言ってたような言ってないよーな」

「日曜だし学校じゃないよね…。じゃあ『みらーじゅ』か…」

 独り言のようになる。
 たまきに話しかけてもまともな返事はもう返ってこないだろう。
「ありがと。じゃーね、たまき」

「もっとアイスクリームちょーだいな。次はメロン味で。むにゃ」
「ちゃんとベッドで寝たほうがいいよ?」


 たまきの家を出ると雨がぽつぽつと降り始めた。
 一度 家に帰って、二人分の傘を持ってからまた絢香を捜しに出る。

 『みらーじゅ』は手作りのお菓子が売りで、二人してよく通っている。いつかあの味を再現したいと絢香は研究熱心だった。一人でも入れる店としては数少ない個人経営の喫茶店である。
 少し覗いてみたが絢香の姿はなかった。
 ここでもないとすると、他に彼女が行きそうなところが思い浮かばない。

 傘を差す程でもないが、顔に水滴が落ちて苛立ちが募った。
 一応、学校にも寄ってみるが門は閉まっていて誰も居なさそうだ。他に行き場所なんてあるのだろうか? 絢香の行動範囲は知らない内に増えていたのかも知れない。
 行ったことのない店にでも意を決して入ったのかも。新しい友だちができたのかも。
 姉のことなら何でも知っていると思っていたが少し遠くに感じてしまう。

 商店街を歩いて、神社のほうへも行ってみる。
 図書館や馴染みの本屋も捜してみた。
 アミューズメント施設なんか普段行かないような場所も見て回る。
 どこにも彼女の姿はなかった。

 雨脚が強まる。
 お金を持っていないのに家出したって絢香には行き場所なんてないはずだ。あとは里佳子せんぱいの家ぐらいか…。しかし姉妹揃ってあの先輩は苦手なのだ。わざわざ鬼の棲家に飛び込んだりするだろうか。この可能性が一番低いと思った。

 絢香はどこかで雨宿りしているのだろう。
 屋根のある場所で、長居しても遠慮ないところ。
 沙智は一つ思い付いて、家に向かって歩き出した。

 昨日のケンカは少し言い過ぎた。
 悪いのは自分なのだから謝ろうと沙智は思う。

 雨の降る夏の公園は近寄りたくない。
 虫や雑草が活気づいて嫌だ。カエルの鳴き声も遠くから聞こえてくる。人気はなく寂しい。自然の匂いと蒸し暑さに満ちていた。
 家の隣の公園は子どもの頃、姉とよく遊んだ記憶がある。
 すべり台にチューブ状の遊具がくっついてて、それが絢香のお気に入りだった。

 近づいて中に入ってみる。

「昨日のことゴメン」

「…」

 絢香は本を読み続けて、無言のままだ。

「あたし言い過ぎだったよね。あっちゃんのなんだから勝手に使ったの謝る」
「…」
「ねえ?」
「…」

 絢香は怒ると自閉してしまう。だんまりを決め込むのだ。
 沙智は自分も怒らないようになだめなければならないと自制する。

「あっちゃんが… あんなになるほど思いつめてたなんて思ってなくて」

 メモの字は汚かった。
 いつもは字のきれいな絢香だが、泣きながら書くと園児なみに退行してしまうのだ。

「なにを… いまさら」
 絢香はぱたんと本を閉じて虚空を見つめる。
「ハンドクリームのことだよね? いっぱい使ってごめん… 高かったんだよねアレ?」

「……え…?」
「だからハンドクリーム? …だよね?」

「…あぁ…」
「え、なに? 違うの??」

「違わないけど… 別に… 気をつけてくれれば…」
「違うんじゃん。ホントはなに?」

「アイスクリーム… 食べたでしょ」
「………え」
「冷凍庫の奥に隠してたのに。二人で食べたでしょ」

「あ、そうだったの…??」

 メモの意味が解った気がする。確かに家出する人が「もう」なんて書くのも変だ。「さがさないで」の前にそんなことが書いてある時点で気づくべきだった。

「たまきにも裏を取ってあるわ。しきりにメロン味を持ってこいって」
「あっちゃんの手作りアイスだもんねー。『みらーじゅ』の味、再現しようとしてたんだっけ? あたしオレンジが一番好きかな」
「話を逸らさないで。ちゃんと言ってくれればあげるんだから…」
「たまきのサーチ能力が凄いんだよね」

「えーと帰ろう? お腹空いたし? ほら傘も持ってきたしさ」
「………うん」


 沙智は長期戦になると踏んでいたが絢香は空腹を我慢していたようだ。メモの意味からも家出のつもりはないと見える。ただ怒っていただけのようだ。両親のほうが絢香のことをよく解っている。
 解ってないのは自分のほうだった。

 沙智は嬉しくなって、遊具から出てくる絢香に傘を差し出した。
 姉のふてくされた顔を見て、ケンカしていたことがバカらしく思えた。

2016年7月23日土曜日

断絶の檻 〜好奇心は私を殺す〜

「福助ってなんだよっ」

 たまきが口を尖らせていた。
 頬が膨らんで風船みたいだ…。

 珍しい… と思った。
 機嫌の悪いたまきを見るのは何年ぶりだろう。あまり気にして見ていたこともないから思い出せないけど、少なくとも春に雪が降るくらいは珍事と言っていい。
 関わり合いにならないほうが身のためだ。

 私は狭くて暗い部室で、いつも通りのテープ起こしのアルバイトに集中していた。イヤホンで里佳子せんぱいと取材相手の声に聞き入る。ノートパソコンに文字をひたすら入力していくだけだ。早く終わらせてスーパーでの買い出しを手伝いに行かなければと考えていた。

「うー」
 たまきはカメラの手入れもしないで、髪をいじりながら床でゴロゴロしているだけだった。そうとう、暇なんだろう。埃が舞って迷惑だ。

「酷いと思わない?」
「…話しかけないで」


 私はたまきとどう接していいか解らない。
 たまきは『嫌い』というよりは『苦手』なのだ。克服するつもりもないけど、部活の仲間としては最低限度の接し方をしなければならないと思う。
 しかし動物園に紛れ込んだかのような錯覚が常にあった。言葉が理解できなかったり、考えていることが異次元に不明瞭だったりすると檻には近寄りたくないと思ってしまうのだ。
 こんなことではいけないと解っていても私には術がない。

 里佳子せんぱいが居ないと息が詰まりそうだ。黒板には演劇部に取材と書いてある。今日は夜遅くまで帰ってこない気がする。
 たまきも暇なら里佳子せんぱいの取材に付いていけばいいのに。

「せんぱいったら酷いんだよ?」
 エサをねだるような目で私を見ないで欲しい。

「………何が… とは聞かないけど…」

「あたしのこと何もわかってくんないの」
「音が聞き取れなくなるから、黙って…」

 イヤホンの上からでもよく通る声だ。

「せっかく! がんばったのに!」
「…少し黙って」


「あっちゃんだったらわかるよね? わかるよねー」
「………」
「えーっ あっちゃんもかー」
「ん… いや…」

 わずかに罪悪感が芽生えた。私には彼女を無視することはできないようだ。

「努力しても見てくれてる人が居ないとやる気ゼロになるんだよねー」
「だって… ヒントは…」
「せんぱいもだけど、あっちゃんも自分好き〜っ、なんだね」


 それはショックだ。
 私はいつも自分をないがしろにしてきた。他人のために努力ができると思っていた。
 少なくともたまきよりも繊細なつもりだった。他人のこともよく観察しているつもりだったし、学校内の事情も記事を書き起こしているおかげでよく知っているつもりだ。

 しかし、たまきから否定されるとは心外だ。
「さっちゃんはわかってくれてたのにっ」

 私は立ち上がる。
「あなどらないでね」
 人間観察は得意だと思う。

 しかし最近のたまきに格別な努力をした形跡は思い当たらない。大概は寝ているし、すぐにちょっかいを出してきて、いつも私の邪魔ばかりをしていた。
 探してみる。
 何かあるはずだ。
 たまきにだって人知れずがんばっていることが…。
 動物園の檻の前に立つような、興味深いけど不安で、近づいてみたいけど相容れない想いに駆られた。

「なーに? あっちゃん」
「…」

 私は間違っていた。
 思い上がりと言っていい。
 見ているつもりでも何も見ていない。
 何も解っていなかった。

「ごめん…、偉そうなこと言って…。私も、…ちゃんとたまきのこと見てなかったのかも知れない…」
「ふーん」
「自分が好きなことだけじゃなくて、苦手なものでもちゃんと見て、知って、理解しようとすることが大事なんだと気付かされたの」
「そうなの?」


 どんな地道な努力をしたのだろう。

「たまきのこと、思い返してみたけどわからなかった。何をしたの?」

「髪切ったら失敗した」

「か…」
「前髪、ちょっと自分で切った」


「…み?」
「せんぱいのために可愛くなろうって努力したのに、ぜんぜん気づいてくんないのっ」

「…」
「髪切ったって話したら福助みたいだなって笑われたしっ」

「…もう」
「福助ってだれ?」

「…話しかけないで」

 世の中には知らなくてもいいことは確実にあると思った。
 私は着席してすぐに仕事へ戻ることにした。

2016年7月16日土曜日

衝動の殺意(後)

「そんな、まさか…」
 恋葉(このは)は踵を返して部屋の中央まで戻る。
 めちゃくちゃに荒らされた部屋には人が隠れるスペースなど見当たらない。見渡す限り散らかった資料と備品ばかり。
 しかし里伽子は生徒会室の中に真犯人が居るとのたまうのだ。この部屋荒らし自体は里伽子がやったのではないのか? 里伽子が言うには学生服の男子が侵入していたらしいが。

「何の冗談ですか?」
 恋葉は再び里伽子を睨みつける。

「ここにはあなたと私以外に誰も居ませんよ。人が隠れられるようなスペースなんか… まして死んでるだなんて…」
「絶命したかどうかはまでは見届けていないから知らないな」

「どこに真犯人が居るというのです? 指し示してごらんなさいっ」

 おかしい。
 恋葉は唇を噛み締めた。いつもは冷静なのにやはり里伽子の前だと穏やかで居られなくなる。

「それは困ったな。私は気持ち悪くなるから惨殺死体を見たくない。指差すのも御免だ」
 なぜ、里伽子は冷静で居られるのだろう。

「ほら見なさい! 始めから嘘なんでしょうっ 居もしない人をでっち上げて罪を逃れようなんて浅はかです! まして死んでるだなんて!」
 声が大きくなる。
 これではまるで自分のほうが追いつめられているみたいじゃないか。恋葉は増々、不愉快な気持ちになる。

「会長、何か勘違いしていないか」
 里伽子はあくまで冷淡に、薄く笑みを浮かべている。
「私にだって怖いものくらいある。苦手なもの。嫌いなもの。熱くなるときもある。ちゃんと人間さ」
「だから何?」

 恋葉は保育園時代からの積もり積もった鬱憤を吐き出す。

「目に見えているものがすべてじゃない。会長にもいずれ解る」
「ごまかさないで!」

「私は真実を追求する記者だ。嘘なんか言わないよ。裏をよく見てみるんだな」
「は? 裏…?」

 恋葉は気が抜けてしまう。里伽子の言動が何かおかしい。微妙に繋がっているようで繋がっていない。意図的にはぐらかしているような印象だ。

 部屋荒らしの犯人は里伽子自身ではないと言う。
 黒々とした学生服の男子が出ていったと証言する。
 偽証はしないとの宣言。
 サッカー部でケガをして吹奏楽部に転身したとある男子の存在は、恋葉も報告の資料を読んでよく知っている。しかし彼が真犯人だとは思えない。

 犯人はまだ部屋の中に居る。
 もう死んでいるらしい。

 惨殺死体…。見たくもない…。指差したくもない…。
 怖いものくらいある…。
 熱くなるときもある…。

 確かに目に見えているものには嘘が紛れているだろう。里伽子は真実も告げているが、嘘も倍くらいは散りばめている。何がジャーナリズムだ。虚飾が本業の癖に。
 裏をよく見ろとは、そういうことなのかも知れない。

 つまり嘘に気づけということか。

 恋葉が目線をあげると里伽子は「じゃあな、会長」と言って帰っていくところだった。
「帰ってシャワーを浴びて寝てしまいたいんだ。悪いな会長」

「待っ…」

 言葉の飲み込む恋葉。十中八九、彼女が部屋を荒らした犯人だ。しかし里伽子は否認している。嘘と思われる真犯人の存在を持ちだしてまで…。
 それとも小さな確率だが、本当に真犯人が他に居るのだろうか。


 恋葉は肩を落として自分の机に戻った。腰掛けて散らかった机を眺める。
 分厚い冊子に倒れたペン立て。
 A4用紙が300枚は綴じてあるだろうか。各部活動の部費の使用状況が書かれている資料だ。

 恋葉は気づく。
 立ち上がって窓の外に目をやると、運動部が練習に励んでいるのが見えた。もちろんサッカー部も活動しているが、これじゃない。
 恋葉は里伽子が拾って読んでいた資料を棚から出して読む。足をケガしたサッカー部の男子のことが書いてあった。里伽子はこれを読んだのだ。
 何が記者の端くれだ。ぜんぜん学校中のあらゆる事情に通じてないじゃないか。里伽子はここにある資料を読み上げただけだ。

 これで間違いなく犯人をでっち上げただけ… ということになる。
 里伽子の言っていることはほとんど嘘だ。

「あの… 疫病神…」
 腹が立って席に戻る。汚い机を見ていると余計に苛立ちが募る。
 散らかった分厚い資料を片付けようと何気なく手にとった。

「…」
 里伽子に言われたからではないが、何となく裏が気になった。
 本当に、何気なく、ひっくり返してみる。 

「!@*gjがsっ!!!?」


 驚いてレンガのような分厚い資料を落としてしまう。恋葉は足を滑らせ、パイプ椅子を巻き込んで後ろに転んでしまった。

「キャー!!!」
 全力で壁際まで後ずさる。

 こびりついた黒々としたもの。
 虫だ。
 潰れて原形を留めていなかった。

 冷静沈着で通っていた恋葉だが、出したことのない音域の悲鳴を上げてしまった。

 よくもヌケヌケと裏を見ろなどと…。

 里伽子が怖いものはコレか。
 微妙に言動がズレていたのも、虫への遭遇と殺虫の動揺によるものだろう。

 いずれ会長にも解るなどと言っていたが、わずかな時間を置かずに恋葉は嫌というほど理解させられた。

「一匹 潰すのに暴れ過ぎよ! あの疫病神!!」
 恋葉は消えないトラウマを刻み込まれて、逃げるように生徒会室を出て行くのだった。

《後編 完》